共存を掲げたただの車社会に対する文句です。ご了承ください。これでも自制したほうです。
というのを先月書いたものでしばらく暖めておいたのですが、2度目の事故にあったので強めに加筆します。
>>
急いでいるとか仕事だからだとか馬鹿みたいな理由はどーーーーーでもいいので、
とにかく道路交通法は守って下さい!
それができない人は自転車・二輪・自動車には乗らないで下さい!人を殺す前に!
あと、周りに合わせることをルールだと勘違いしている人も同様です。
できるだけ「この際乗るな」と言わないでおいた自分が馬鹿みたいです。
<<


・はじめに
自転車乗りにもルールは必要です。話を始める前に「乗り手はルールを守らなければならない」ことを絶対条件とします。
ですがバイク・自動車乗りに求めているのも同じく必要であり「どちらかが守ればいい」ではなく「どちらも守る」べきなのです。
ドライバーのマナーの悪さは批判されるべきですが、だからといって多くの自転車乗りのマナーを棚に上げていいということではありませんし、するつもりもありません。
私は自転車(ロード)に乗りますが一旦停止も追突される覚悟で止まりますし、そこに信号のない横断歩道を渡りたそうな子供がいれば止まります。


その横を何事もなかったかのように通り過ぎる、免許持ちのはずのドライバーが当たり前にいるからどうしても車(及び自分勝手な主張)は好きになれないのです。
模型屋に売れ残った大好きなけいおん!痛車プラモを買うのに躊躇するくらいの自動車嫌いですが、ぶっちゃけ思い切って徹底したマイカー規制を行いとにかく自動車が減ってくれれば重大な事故にもつながらないので自転車乗りはルールを守らなくても死ななくなるしややこしいこと抜きで世の中は安全になるのでそれでOKなのですが
自動車規制で弱者バンザイ、では自転車規制で車社会バンザイ、なんて主張と変わらないわけですし
そう簡単に受け入れてくれるほど現存の車社会日本は甘くないので、ここは心を鬼、ならぬ心を仏にして、少しの我慢でみんなが幸せになれる共存の道を探って書き綴っていきたいと思います。
もし以下の文章を読んで、制限速度1,2km/h越えた程度でgdgd言ってる重箱をつつくような主張に見えてしまったドライバーの方は頭を冷やしてからもう一度出直してください。

駄文なので読んでられない!って方は疋田智さんの著書なりメルマガ
http://melma.com/backnumber_16703_5322023/
なり読んでいただければ私の言いたいことが半分くらい理解していただけるかと思われます。


・車道より歩道を走るほうが危険なのです
一生歩道から自転車が出てこなければそりゃ安全でしょうね。ですがいつか出ないといけないのです。そこが一番危険なので、最初から車道を走り、きちっと交通ルールを守るのが最も安全なのです。確か統計データもあったはずです。
危険だと思うのは、急な飛出しや横断、逆走があるからであってルールを守り車道をまっすぐ走る分には危ないはずはないのです。というかそれでも危険になるケースがあったら教えてほしい。
急に現れた!ってならそりゃ追い越し側がスピード出しすぎ、車間詰めすぎでただの前方不注意なだけ、
急に転倒されると困る!ってなら追い越し時にもっと幅とれよと。結局、危なくなるのはどちらかがルールを守っていない状況なのです。


・本当に「自転車免許」が必要か?
バイクや自動車に免許があるのは、運転に知識、技能が必要だからであって交通規則を覚えるだけならほかの手段でもいいはずです。取り締まりにおいての身分証明や青切符をとれるようになるので便宜上の利点もありますが…。
第一、免許制度を実施したとして、誰が無免許を取り締まるのか?? ろくに自転車の逆走、無灯火、傘差し運転etcを取り締まれないのに、
「免許がないと自転車で走ることが許されないから免許を取ろう」と思うでしょうか?
ろくに取り締まれることが無いのなら現状のまま無免許運転という文面だけの問題が増えるだけです。
最も大事なのは、交通規則を知ること以上に交通規則を守ろうという心構えを持つことです。でなければ制限速度超過も信号無視も起きないでしょう?
自転車において規則がないがしろにされがちなのは、規則を知ったところで守ろうとしないところにあると思います。
取り締まれない形だけの免許制度よりも、若いうちから学校や地域活動でしっかり教えることのほうが時間はかかりますが守ろうという精神も芽生えると思いますし、コストもかからないと思われます。
自転車レーンと並んでよく意見として挙げられる「自転車免許制」ですが、取り締まることだけを目的に作っただけでは効果はないでしょう。
既存の免許のように大金を支払い、自主的に取りにいかないといけないような大層な免許制度に期待できないのであって、ルールを教える場を設けることが目的の、学生児童を対象にした地域限定の簡易的な免許制度のようなものには賛成です。


・あなたが守るからみんなも守れる
ドライバーにとって車道の自転車は危険だと思っているようですが、自転車乗りの立場からすると(逆走等違反除く)他の自転車はそれほど邪魔だとは思いません。
鉄の塊に守られているだけで十分なメリットであり、それに伴うデメリットはあって当然のものなのです。
自転車は自動車ほど車道の幅をめいいっぱい使わないし、制限速度を大幅に超えて飛ばすこともありません。
制限速度も車間距離もちゃーんと守れば邪魔になりません。というか無意味に急ぎすぎ。信号は待てるのに追い越しできない程度で焦らないの。
邪魔だと思うのなら、もっと小さい車にするなりバイク・自転車に乗り換えるなりすればいいだけの話なのです。
それでも文句を言う人は満員電車に空っぽの旅行鞄持ち込んで狭い狭いと文句を言っているようなもんだと思っています。
繁華街の人混みの中で前の人が邪魔だからといって罵声(クラクション)を浴びせたり体当たりのようなこと(幅寄せ)をする人はいないでしょう? 同じ人間なのに道路に出るとやたら事情が変わるのが不思議でなりません。

ロードバイクに乗っていると気合で車の流れに乗っちゃったりできるので危険性は感じないのですが、スピードの出ないフラットペダルのクロスなんかに乗り換えると普通の自転車乗りが言うよう、確かに怖いです。
それは車の流れとの速度差があるせいであり、車両同士が共存する=即事故に繋がるというわけでもないのです。
車も制限速度以上で飛ばさなければ、もっと自転車が車道に出やすくもなると思うのです。
制限速度はドライバーにとって警察の点数稼ぎのためにあると思われがちですが、本来こういった共存のためにあるのではなかったのでしょうか。
(数km/h単位で守れといっているわけではありません。メーターをガン見しなくても運転に慣れていれば何キロ出ているか分かるはずです)


加筆>>
あと一旦停止をしないのも相当危険です。それを無視した車両と事故を起こした私が言うくらいですから。
一旦停止は停止であり徐行ではありません。確認した上で直進してくる車両がいれば止まってださい。いい加減。
見通しが悪かったら尚更です。優先側の車両は止まってくれることを信用しているから進めるのです。
一旦停止をしない車両は信号無視と一緒です。
時々、警察の一旦停止の取り締まりに文句を言う人がいますが、そんなこと当たり前です!
守ればいいだけの話です。でなければ事故を起こす前に乗らないでください。お願いですから。

自転車が車道にいるから危険なのではありません。どの車両にしても守らないから危険なのです。
<<


・みんな揃ってレーン、レーンとは言うけど
確かに自転車専用レーンを作ってしまえば効果はあるけれど、コストやスペースの面で本当に実現できるの?とは思う。
偉い人が「自転車のために走行帯作ったよー 私って偉いでしょー^^」的なパフォーマンスがしたいだけなんじゃないかと勘ぐってしまう。
大名義分なんて掲げなくても路側帯と路駐取り締まりがあればいいだけの話なのに。それで出来上がったのが、ろくに運用できない「歩道に色分けしただけの無意味な」レーンだったりするから…。
それに、レーンができたところで流れがよくなるだけで最も危険である交差点については全く変わらないわけで、
やはり「安全運転」のほうがよほど大事なわけです。


路側帯でもいいのだけど、私が考えているのは道路レベルではなく街レベルでの住み分け。
幹線道路は今まで通り自動車のもの、ただし住宅街などでは歩行者、自転車などの弱者のため、といった具合に車両ごとに住み分けを行う。
この国では自動車の立場が圧倒的に強い。法律では弱者優先でも、実際は残念ながら強者優先の意識のが強いと思う。
おかげで「どんな道路においても自動車が快適に走れる環境」がないといけない意識を感じるのは自分だけだろうか?
実際、急いでいるわけでもないのに制限速度が20〜30km/hの住宅街であっても飛ばす車は後を絶たないわけで…
話を戻すと、幹線道路では今まで通り、住宅街では自動車はその地元住民だけ(実際通勤で走ると抜け道に使ってるよそのドライバーが多いんだわ。そういうのに限って本当マナーが悪い)に制限し、速度や一時停止、本当の意味で弱者優先を徹底させる。
自転車は近場=住宅街・繁華街地域、自動車は遠方・荷物運搬目的=幹線道路地域、といった具合に(いやロードなら200km余裕だぜ?なんて私らのような変態意見は置いといて一般的な使われ方としての話)本来の車両の目的をはっきりさせ
自転車レーンなんて大層なコストや手間もかけずそのままで、且つ安全も得られるという意味ではアリだと思ってるんですがどうでしょう?
車両規制以上の具体案がないので夢物語みたいな話ですがレーンよりかはバランスがとれているとは思いますけど。
これとは少し違いますが山間の新興住宅街を少し走ったときに見つけたのですが、大きな見通しのいい幹線道路が一本、
そこからいくつも幹のように路地があってそこだけ車が走りにくいよう意図的に車道が蛇行させてあり、よく考えられた街の設計に感動を覚えました。


・道具が悪い
一度親父の知り合いの車に乗せてもらったことがあります。
ちょっと高そうな車で、振動も少なく速度が出ていることを感じさせません。外からの音もあまり聞こえないほどの防音性もあります。
乗っている人間にとって一見理想的ですが、世の中がこんな車ばかりになると恐ろしい事態になるでしょうね。
質量があって、速度が出るのに、周りの情報を遮断している。これでは周りにはどれだけ恐怖か全く分かりません。
ナビゲーションもついていたのですがそこから恐ろしい一言が聞こえました。
「速度取り締まり区間です。注意してください」
注意するのは取り締まっている警察じゃないでしょう?? 取り締まり区間じゃなくて飛ばすと危険なところで注意すべきでしょう??
ナビには抜け道を案内する機能もついているそうじゃないですか。これを作った人間は地元民のことを少しでも考えたのだろうか?
そのせいか、自宅の近所の狭い路地で飛ばす車が増えた気がします。
ドライバーばかり叩いてきましたが、それを作る車関係のメーカーが迷惑の片棒を担いでいるような嫌なものを感じます。


・自動車が抱えている問題
ギスギスしているのは自転車−自動車間だけではないのでは?
ドライバーは後続の車を気にしすぎるあまり車間を詰めすぎ(後続に気をつかう割には前の車はいいのか?)でそのせいで自然に「流れ」ができ速度が上がりがちだと思います。
速度が出るのがその「流れ」のせいならば、一人一人が車間距離を開けるようにすれば速度は落ちるし、渋滞も解消され(確かある程度車間距離を開けることで渋滞が解消できる的な実験結果を見たことがあります)いいことづくめだと思います。
車列がある程度以上になると速度が出ている割にすぐ信号で詰まるので、ロードであっさり追いつくことが多く危険な割には自動車の性能を生かし切れていないように感じます。

要するに、ドライバーも自転車乗りもルールを守れば
(車)車間距離を開ける→全体の速度が落ちる上に渋滞が解消される→自転車が車道を走りやすくなる→安全になる
と、どちらにも悪い話ではないと思うのですがただの空想でしょうか?



本当に速度を出しすぎるのは「流れ」が原因ならそれで解消できるのでしょうが…
実際はちょっと違うんですね。20-30km/h制限の住宅街でも、他に車がいないに関わらず道が広ければ飛ばしてますしね。
流れが、とかメーターに誤差が、とかメーターをガン見してるほうが危ない、という割に何故か+15km/hというところだけはしっかり守ってるんですよね。不思議ですね。
急いでいるのかと思えば必ずしもそうとも限らないようで、小学生の登校する道路でそんな危険な車に注意したことが何度かあるのですが、悪質なドライバーになると幅寄せした後、車から降りてきました。
急いでいる割に付け回したり文句を言う時間はあるんですね。こういうのは一部だけというのは分かってるんですが、奴ら、ただ質量にモノ言わせて飛ばしたいだけなんです。
こんな奴らでも免許が取れる。自動車の教習に「常識」が追加されるのはいつになるんでしょうか。



※関係ないけど
一度、自転車で飲酒?の検問に並んでみました。降りたのに超全力でスルーされました。2度ほど。これはこれで悲しいです。


※それは違うだろ!
道路が路駐禁止だからって堂々と広い歩道に車を止めればいいってもんじゃねーよ!
一方通行で逆走になるから歩道を走る原付とかバックで戻る車とか、本末転倒な解釈見ると頭痛が痛くなる